当院は大正11年(1922年)に創立、創立者の「一町一村に一人でもいい、この気の毒な人達が救えれば」という強い信念のもとに、つねにその時代の先端をゆく精神科医療を提供してきたと自負しております。まず進行麻痺にたいするマラリア療法をいち早くとりいれて積極的に行い、昭和5年に来日したハンブルグ大学教授ワイガント博士に、まだドイツでも全土に普及していないこの療法を、日本の片田舎の病院でドシドシやっているのは驚異であると褒められたと伝えられています。また昭和10年にはインシュリン療法を始めており、昭和12年には電撃療法の市販第二号機を買い入れて使用していたようです。さらには甲府にある名勝・昇仙峡などに患者さん・家族合同でハイキングしたり、テニスコートを作って近所の人達共々にテニスをしたりというレクリエーション療法などが時代に先駆けて行われていたようです。また戦中戦後の食糧難の時代にも、テニスコートをつぶしてサツマイモを植えるなどの工夫を凝らして、一人の餓死者も出さなかったといわれていますが、これも特筆に値するでしょう。
当院は患者さんの社会復帰にもいち早く取り組み、昭和48年には社会復帰病棟を新設して職員全員で患者さんの職場を開拓し、受け入れをお願いしてきましたが、これは現在まで社会復帰の考え方を病院の大きな柱とする考え方に繋がっています。 精神科総合病院として外来から入院・入院から社会復帰という一連の流れを実現させるために、急性期病棟・回復期、社会復帰のための病棟・精神療養病棟・合併症と老人のための病棟・作業療法室・訪問看護・デイケアセンター・就労継続支援事業所・地域活動支援センターなどが整備されています。 屋上には芝生やバラを中心とした空中庭園が作られていて、散歩などができるようになっています。 最近の入院から地域へという考え方もいち早く取り入れて、本院の他に山梨県東部の富士山の麓にサテライト診療所を開設しました。当院のもう一つの特徴は、病院のあるべき姿を検討し職員の資質の向上と患者さんにいかなるサービスを提供すべきかを勉強するため、研修会が頻繁に開かれていることでしょう。施設の整備と職員の資質が一体となって初めて、精神科総合病院としての役割がはたせるものと考えています。このように古い革袋に新しい酒を注ぐべく全職員が一体となっているのが、今日この頃の山角病院です。 |