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医師会の概要

山梨日日新聞「時標」コラム 長田 忠孝

峡南の在宅医療 絆で支える

「ここで生き、ここで幸せな最期を迎える」-。この4月、飯富病院に設置された峡南医療支援センター(以下センター)の標語である。地域に最期まで生きるお年寄りを支える合言葉にしたい。
センターの設置は、国の地域医療再生臨時特例交付金で創設した基金を活用した、山梨地域医療再生計画の一環だ。峡南医療圏では25億円の基金により、1.医療従事者の確保 2.医療機関の連携の推進 3.在宅医療のモデル地区化-の3点を柱に地域医療の再生に取り組むことになった。
対象地域は峡南医療圏全域で、1番目の業務は在宅医療実施機関の負担軽減と連携網の創出である。医師不在時に代替の医師を斡旋したり、患者の急変時に病院を紹介したり、さらに在宅患者と家族を取り巻く医療・福祉・介護・行政との連携網をつくることである。加えて、患者の状態の画像配信とテレビ会議もと考えている。
2番目は地域住民と在宅医療、特に在宅ターミナルに関する価値観の共有をはかることである。読書会の開催を含め、生きること死ぬこと、施設と在宅でのターミナルの違いなど、住民のみならず医療関係者とも膝をつき合わすように話し合っていきたい。
3番目は在宅を困難にする認知症対策、特に早期発見と確実な医療への導入である。現在も、将来も、確実に増加する認知症は在宅継続を困難にする大きな原因である。「認知症になっても、住み慣れた自宅で生活することができる」。そのような体制をつくりたい。
最期は在宅医療を含めた地域医療・福祉を担う医師、看護師等の人材育成である。研修プログラムを作成し、ホームページにより希望者を全国公募し、奨励金を支給する。
われわれよりも50年以上前、在宅で最期を迎えることがまだ普通にあったころ、現在の峡南医療圏にも博士、先生と呼ばれ、慕われた医師たちがいた。請われれば山道を徒歩で、スクーターで、あるいは馬に乗り患者の家を訪れたという。
家族制度が変わり、認知症の増加が確実視され、医師の育成が臓器別専門医にかたよってしまった現在は、そのような時代ではないという人たちはいる。
しかし、峡南に生きた住民たちとともにあった医師たちの立ち位置に戻りたいし、そのような心を持った医師や看護師を育成したい。そして、在宅患者と家族を取り巻くさまざまな人たちと諸機関の連携をつくりだす。それらのことが、在宅医療のモデル地区化につながり、山梨県内での在宅医療の普及につながると思っている。
「もういい、十分に生きたから、点滴はいらない。この部屋で最期まで過ごしたい」と言う、何人もの年寄りに出会った。
確かに、在宅で最期を迎えた方のほとんどは、死を恐れていなかったし、生に続く当たり前のことのように死を受け入れていた。そして、年寄りたちも家族も在宅での生活に満足していた。もしかしたら、在宅なら、われわれもそのような、むさぼらず、淡々とした、安らかな最期を迎えることができるかもしれない。
冒頭の標語で掲げる「ここ」とは、自分の家を、住み慣れた地域を指している。希望するところで、最期まで生きてゆく人たちを支えるシステムの構築の試みと、その実現のための連帯を、山梨県のすべての人たちに峡南のこの地から呼びかけていきたいと思っている。

長田 忠義

1944年甲府市生まれ

甲府一高 北海道大医学部卒

1982年より飯富病院勤務

1992年より同病院長

現在は名誉院長

県生活習慣病健診管理指導協議会がん・乳がん部会長

2011年4月より峡南在宅医療支援センター長

当記事は2011年6月5日(日)山梨日日新聞の「時標」コラムに掲載したものです。

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