十年前、飯富病院に老人保健施設「ケアホームいいとみ」が併設されて間もないころの話である。
宮城県に生まれ、峡南の地に嫁いだ依田さんが脳卒中の発作を起こし、右側の体の麻痺(まひ)と昏睡(こんすい)に近い寝たきり状態になった時はもう九十歳を過ぎていた。自分で動くことはもちろん、見ることも、聞くことも、しゃべることも、食べることもできない、生きていくための全てに介助のいる状態だが、「介護者がいないため、すでに申し込んである特別養護老人ホームの入所までをお願いしたい」との内容の手紙が、近くの病院の内科医から届いていた。
鼻から胃の中まで通された管から注入する一日三回の流動食(経管栄養)が依田さんの食事だった。
何日かして、担当の看護師から、唾液を飲み込む様子をみると、口から食べられそうなので管を抜いてみたいとの提案があった。
ためしにトロミをくわえた流動食をスプーンであげてみると、うまく飲みこむことができた。ゆっくりと時間をかけて、口からの食事を開始することにした。
心配した食事が気管から肺に入るためにおこるひどい「むせ」や「せきこみ」はなく、摂取量も徐々に増え、かたちのある硬いものも食べられるようになっていった。
「味もわかるし、マグロが好きみたい」
「耳も聞こえるみたい。マグロって言うと、すぐ口を開けて、芋も食べてくれたよ」
管で注入していた時より食事に時間と手間はかかったが、体つきもしっかりしてきたし、何より、心の交流が生まれてきたようで介護者もうれしくなったらしい。依田さんの生まれ故郷の東北の民謡を聞きながらの食事も試みたりした。
結局、右側の手足を動かすことと、言葉を話すことは最後までできなかったが、毎日の食事が少しずつ確実に依田さんを目覚めさせているようだった。白内障のための視力障害はあったが、目も見えることも判った。
三ヵ月後にあった運動会では職員に押してもらった車イスに乗り、大玉ころがしの競争に参加できるまで回復した。
それからさらに三ヵ月、依田さんがいよいよ特別養護老人ホームへ入所することになった前日の十時のお茶の時だった。
「依田さん、明日はお別れだね。元気でね」と、いあわせた入所者と職員が茶わんを持ち上げた。
するとその時、依田さんも左手に湯飲みを持ち、ゆっくりと目の高さに上げ、一口お茶を飲んだ。そして、依田さんの両の目から静かに涙が流れ落ちた。
半年前には寝たきりで、経管栄養で食事を注入されていた依田さんが自分でお茶を飲み、別れを惜しむ涙を流したのだ。
今でも、依田さんのことと奇跡のようなあの日の感動を思い出す。「ケアホームいいとみ」の貴重な財産のような出会いと体験の一つとして、大切に語りつないでいかなければならないことと思っている。
老いて、あるいは病気になり、生きてゆくための食事を自分ひとりでは取れなくなる時が、誰にも必ず来る。身近な介護者の献身的な努力が解決策としてある。しかし、それにも限界がある。
依田さんのうけた経管栄養や点滴による経静脈栄養が、広くおこなわれている対応策だが、もちろん根本的解決策ではない。
最近、そのような時どうしたらいいのか、元気なうちに考えておこうと、地域の人達と話し合っている。もちろん簡単に結論できることではないのだが、「自分の考えを家族や身内にしっかり伝えておいてほしい」がいつもの結びの言葉になっている。
依田さんのような感動的な出会いがあれば、経管栄養も悪くはないのかもしれない。しかし、そのようなことは極めて少ないのも現実なのである。
長田 忠孝
1944年甲府市生まれ
甲府一高 北海道大医学部卒
1982年より飯富病院勤務
現在院長 外科医師
当記事は2007年11月、山梨日日新聞の「視座」コラムに掲載したものです。
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