朝比奈先生、先生が自治医科大学を卒業し、二年間の研修の後、飯富病院へ赴任してすでに二十年たちました。当初二名だけだった自治医大出身医師も、現在では七人に増員され、飯富病院のみならず、峡南医療圏においてもなくてはならない医師集団となりました。
循環器内科医を目指していた先生もすぐに、消化器や呼吸器などの他の内科はもとより、外傷や救急、夜中の緊急の外科手術の助手や、麻酔科医の役割を務めるような、できることはなんでもやる、できないことは院内や院外の医師や医療機関と協力し解決する医師になりましたね。
病院のすぐ近くに住み、二十四時間、三百六十五日、病院医師を務めるのみならず、赴任当初からの早川町の無医地区への出張診療を立派な実績で継続され、在宅患者の往診やターミナルケア。さらに各種の保健事業まで。実に多忙な、多機能な二十年間でした。
ある地域に発生する、保健、医療、福祉の問題を一括して解決してゆこうというのが地域包括医療ですが、まさに先生の二十年間の活動は、そのような医療活動だったのでしょう。だから、昨今の医師不足で悩む自治体病院の話がうそのような飯富病院の状況をつくりだせたのでしょう。
確かに、日本の大学医学部では、ほとんどが臓器別、疾患別の専門医養成を目指し、朝比奈先生のような地域医療を実践する医師を養成してきませんでした。このことが現在おこっている、医療危機の大きな原因と考えられています。もちろん、地域医療の専門医を認定していこうとする動きはあるのですが、権威ある内科学会や、外科学会の認定医、専門医は、規模の小さい飯富病院のような地域医療実践病院では取得が極めて困難か不可能なことも事実なのです。
食道がんの患者さんの治療はできるが、在宅のターミナルケアには無関心な医師の話を以前しましたが、臓器別、疾患別専門医の限界を象徴的に示す話だと思いませんか。
全人的医療を実践できる医師をつくり出そうという、大きな目的が新医師臨床研修制度にはあったはずです。むずかしい話ではありません。臓器や疾患をみるだけではなく、患者さんや地域の人達と、同じ地平で共に歩み、考えることができる医師が必要なのです。そのような医師を創り出すため、この研修制度がスタートしたのです。
朝比奈先生の二十年間の活動を見ていると、全人的医療を実践する医師像が見えてくるのです。一生をかけて、行うに値する仕事だと思うのです。だから、飯富病院で臨床研修をする必要があり、先生や私たちには研修医を指導する資格と責務があるのです。
さいわい、今年度から、山梨大学にも地域医療学科が設立されました。おおいなるこころざしと期待を共有し、全人的医療を実践できる地域医療医を創出することに協力してゆこうではありませんか。
二十年前、まだ先生が早川町新倉の診療所に住んでいた頃、近所のお年寄りを自家用車に乗せて、飯富病院に出勤する先生を見て、「朝比奈くんが、今朝も彼女を三人も乗せてたよ」などと言っていた娘も、地元の青年と結婚して、今年十歳になった子供があります。私の孫の「はな」です。多くの若者と同じように、彼ら一家も峡南地方に両親を残し、甲府盆地に生活しています。
今回の視座の連載の第一の目標は「はな」に理解できるように、「はな」のように故郷を離れて生活する人達に、両親や祖父母が育ち、生活した峡南地方と、そこに住む素晴らしい人たちと、その人達と共に歩んできた人たちのことを書くことでした。目的が達成されたことを祈り、支えてくださった全ての方々に感謝し、朝比奈先生には今後の活動をお願いして、長かった一年間の連載を終わらせていただきます。
長田 忠孝
1944年甲府市生まれ
甲府一高 北海道大医学部卒
1982年より飯富病院勤務
現在院長 外科医師
当記事は2008年3月、山梨日日新聞の「視座」コラムに掲載したものです。
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