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医師会の概要

山梨日日新聞「視座」コラム 連載 長田 忠孝

第10回 「あした葉劇団」公演中

平成十一年十月二十四日、アメリカ・アイオワ州の州都デモインで開催された州知事主催の高齢化学会の主会場は「あした葉劇団」にたいする五百人をこえる参加者の大きな拍手につつまれていた。
「あした葉劇団」は、山梨県内の肉親や家族に認知症患者を持ったことのある介護経験者たちの集まりである「あした葉の会」の会員有志で構成されている。「三世代同居の海野家の臨太郎じいさんがアルツハイマー型認知症を病むことでひき起こす騒動」を演ずることで、認知症と、孤立しやすい家族への理解と援助を訴えてきた。すでに県内外で多数の公演を行ってきて、このデモインは四十八回目だった。
しかし、ボランティアの同時通訳がつくとはいえ、英語が全くできない劇団員が、日本語が全くわからないアメリカ人たちに、思っていることを伝えることができるのだろうかと、分りすぎる不安を全員が持っていた。
開演してすぐに、すべては無用な心配事だったことが判明した。ことに、早川町西山出身の湯村さんの演じる、主役の臨太郎じいさんはいつにも増して絶好調で、満場の笑いと涙を誘う好演技で、他の劇団員達の緊張を取ってくれた。
終演と同時におこった、拍手と起立。笑顔と涙。共感を伝えるメッセージ。それらは今までのどの公演よりも大きな感動と確信を全員に与えてくれたのだった。
国は違っても、話す言葉は異なっても、認知症に対する思いは変わらないと。
臨太郎さんを演じた湯村さんが奥さんの異変に初めて気づいたのは、長く務めた東京電力を定年で退職した昭和六十年、奥さんが六十一歳の時だった。
近所の人から、「つじつまがあわないことを言う」と告げられたのがきっかけだったが、病状は確実に進行していった。
計算ができなくなった。簡単な家事や掃除、得意だった料理もできなくなった。
幼なじみで、一つ年上の奥さんのことはなんでもわかっているはずだったが、事態は徐々に深刻になっていった。明らかに病気になったのだと自分に言い聞かせ、町の保健師の勧めで、甲府の病院を受診した。診断はアルツハイマー型認知症で、治療手段はないという、とうてい納得できるものではなかった。テレビで見た認知症で有名な、東京の青梅の病院を訪ねてみたが、結果は同じだった。
家庭内や周囲とのトラブルが増え、何でこのような苦しみをと、自暴自棄になり、いっそ奥さんとすべてをやめにしてしまおうかと何回も思った。
そんな、何の希望もないと思っていたとき、甲府保健所で、「あした葉の会」の人たちと会うことができた。
月に一度、認知症患者の介護者が集まり、お互いの苦労や相談事を、介護経験者や保健師たちに聞いてもらい、話し合う会だった。湯村さんはいつも早川町の自宅から二時間かけて、奥さんと一緒にこの会に参加した。会を終え、早川に帰るときはいつもカラオケを歌い、早川の暗い、希望のない生活がうそのように思えるのだった。
救われたと思った。一人ではないと思った。さあ妻と、家族と生きてゆこうと思った。自分も同じ苦しみの中で過ごしている人たちに、この思いを、この会のことを知らせようと思った。そして、「あした葉劇団」が誕生した。
最近、湯村さんは自分たちを苦しめた認知症とはなんだったのかと思う。奥さんがこの病気になって、「あした葉の会」を知り、アメリカまで行った。そして、多くのかけがえのない出会いがあった。実はこの病気こそが奥さんを介して、そのような貴重な体験を自分にもたらしてくれたのだとも思えるのだった。
「あした葉劇団」の活動はその後も各地で続けられ、平成二十年一月には百六十回目の公演を迎えたのだった。 

長田 忠孝

1944年甲府市生まれ

甲府一高 北海道大医学部卒

1982年より飯富病院勤務

現在院長 外科医師

当記事は2008年2月25日、山梨日日新聞の「視座」コラムに掲載したものです。

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