佳作
「なんだか体調が悪い。」
小林 莉緒
山梨大学附属中学校3年
「なんだか体調が悪い。」
朝起きてすぐ兄の言葉で、家の中の空気が変わった。すぐに体温計を渡しながら、サチュレーションの器械を指にはめる母の姿は、いつも穏やかな朝の様子とは別人のようだった。幸い熱はなかったため、私は疲れによるだるさくらいだろうと安易に考えた。しかし、医療従事者の両親は、兄のウイルス感染の可能性が高いと判断し、2階の自分の部屋に隔離した。家中の窓を開けてドアノブをアルコールで消毒する様子を見ると、テレビで見た光景を思い出し、だんだんと怖くなった。
昼頃には兄の熱は38℃を超えた。のどの痛みも咳も現れ始め、確信を持った母は検査をしてもらえる病院を本格的に探し始めた。その頃、第七波で山梨県の一日の新規感染者数が初めて1,000人を超え感染拡大が続いていたため、すぐに検査を受けられる病院を探すことも難しい様子だった。兄は小児喘息と腎臓の持病があり、かかりつけの病院で検査を受けることができた。結果は陽性判定だった。持病があるとはいえ、高熱で血中酸素濃度が少し低いだけの兄に入院の選択肢はなかった。ホテル療養は一人で部屋の中で生活するため、病状の急変に気がついてもらえないのではと、両親は自宅療養を選択した。
感染拡大の要因の一つに家庭内感染の問題があることは、ニュースで何度も聞いて知っていたが、実際に当事者となるとそれは非常に難しい対応だった。兄が自室でマスク生活をするのはもちろんだが、父と私は1階で生活、母は2階の寝室で過ごしながら兄の看護を一人で行い、家の中でも家族はラインで連絡を取り合った。最初の2日間は、高熱と血中酸素濃度の低下で目が離せられない状況だったため、母は1時間おきにベランダから窓を開け、完全防備で兄の部屋に入っていき様子を確認した。解熱剤を飲ませたり保冷剤で頭、脇や首を冷やしたりしながら、その状況を随時記録していた。その様子から、私は兄の命の危険さえ感じていた時もあったが、幸い症状は回復に向かい4日目になると兄とラインのやり取りが出来るまでになった。
症状が良くなると今度は食事、お風呂、洗濯等の隔離生活の不便さが出てくる。母は看護をしていたため濃厚接触で感染の危険が大きいからと、父と私とは完全に生活エリアを分けていた。感染に注意しながら慣れない家事をこなし、階段の中段に食事や必要な物を置く日々が続くと家族全員が疲弊していった。
しかし、両親と私の検査で陰性確認ができるとそんな疲れも吹っ飛んだ。そして私は安堵感と同時に両親の冷静な対応に感謝の気持ちでいっぱいになった。体調不良という言葉だけで隔離と消毒を行い、症状に合った看護の判断力、対応力に感銘を受けた。それはやはり、医療の知識と技術、これまでの豊富な経験からなせることだろう。
私の夢は医者になることだ。それは、小学生時代にドラマの影響を受けて志すようになった。しかし、先日の両親の姿も間近で見たことで医療の素晴らしさと重要性と実感し、私も目の前の命を救いたいと強く感じた。兄の感染を通して、これまでとは全く違った視点から医療について考えることができ、将来は必ず医者になると強く心に誓う良い機会となった。