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医師会からのお知らせ

第30回健康と医療作文コンクール

優秀賞

「息子が教えてくれたこと、当たり前のようで当たり前でないこと」
大森 利恵
甲府市
4年以上かかった不妊治療の末に授かった息子は、予定日より1ヶ月ほど早くこの世に産まれました。体重は低出生体重児となるラインを上回っていて、第二子だったこともあり、「安産といえば安産だったかな」と、出産を終えた私はぼんやりと振り返っていました。正期産まで1週間早かったため、「早産で多少未熟性があるので、ちょっとこちらで預かりますね」と助産師に言われても、私は「夜眠れるから助かる」としか感じていませんでした。
しかし、生後3日目の昼、私と夫は、小児科の医師から息子のレントゲンを見せられ、「小腸の一部が細くなっていて、ミルクが通過していないこと」、「小児外科のある病院へ至急転院をしてほしいこと」を告げられました。転院先の病院から医師や看護師が到着し、息子だけ先に運ばれる際の見送りはまるでドラマのようで、今でも心に焼き付いています。
転院先で息子は緊急手術を受けることになりました。手術は予定より大幅に時間を超過し、手術の終了を待つ私は、何かトラブルがあったのではないかと、最悪の事態まで想定しました。やっと呼ばれた小部屋で、執刀医は長時間に渡る緊急手術でおそらく相当疲れているのにも関わらず、開腹してわかったことや、想定される病気、今後の見通しなどを丁寧に説明してくれました。
その内容は、小腸が単純にねじれているだけなら、ねじれを戻せば腸が動き出すはずだが、息子の場合はそうではなかったため、お腹にストーマ(人工肛門)をつけたこと、そして県内で年に数件あるかないかという、ある珍しい病気の疑いがある、といった内容でした。
子の健康を願う親なら当たり前ですが、生まれてくる赤ちゃんは健康であると、当然のように私たちは思い込んでいました。けれども世の中には医療を必要とする赤ちゃんも一定数いて、それが自分の子なんだ…という事実を受け入れることが辛く、私は赤ちゃんと離れて一人戻った産院で朝を迎えるたび、「全部悪い夢だったらいいのに」と思っていました。
そんな私の話を聞いてくれて、時にはもらい泣きしながら寄り添ってくれたNICU(新生児集中治療室)・GCU(回復期室)の看護師や出産した病院の助産師の方々には、今でも感謝しています。「切迫早産だったのに、調子に乗って動いたからか?」「不妊治療で移植した胚のグレードが悪かったから?」、自分を責める材料はいくらでもあったのですが、産後健診でそれを口にすると、話を聞いてくれていた助産師の方は明確に否定してくれました。
「早産になったのは、本人が出てきたいと思ったから。それに、胚のグレードは妊娠率とは関係するけど、病気とは関係ないよ。」
そう聞いて、私は納得してほっとしました。気持ちを吐き出せる場所があることや、気にかけてくれていると思えたことが本当にありがたかったです。
入院中の息子は、良くない症状が出たこともあったものの、検査を重ねストーマは閉鎖できることになり、閉鎖手術後、経過を見て退院することになりました。退院時、医師からは当初伝えた病気に近い疾患の、一つのタイプだったのではないか、と説明を受けました。そして「このタイプの予後は良いです」とも言ってもらえました。
その時感じたのは、「予後」という普段の生活では聞くことのない言葉の重みです。
「今後の症状についての見通し」という意味でその時は使われたと思いますが、文脈によっては「余命」という意味もある言葉です。そんな言葉がさらっと出ることに、この医師は「予後が良い」患者も、「予後が悪い」患者も経験しているのだろうと、何となく私は想像しました。そして、息子が珍しい病気の中の一つの型であったこと、もし別の型であったら、違った未来になっていたことに、暗く恐ろしいものが頰をかすめていった気がしました。さらに私の思いは飛躍して、この病院にいる全ての患者やその家族が、悲しみや喜び、疲労を抱えながら病気に向かい合っている姿が浮かびました。
健康を享受して普通の生活が送れることは、実は「当たり前ではない」ことを、私は知りました。そして、必要な時に適切な医療を受けることができるありがたさや、コロナ禍や医療過疎などでそれが維持できなくなってしまう危うさも感じています。
医師の言葉どおり、現在息子は食いしん坊でいたずら好きの1歳児として、ごく普通の生活を送ることができています。もう少し成長したら、自分が経験した病気や手術について伝えるつもりです。それをきっかけに将来は医療関係の仕事についてくれたら…などと勝手に親の夢は膨らんでいますが、それよりも何より、息子が元気にしているだけで充分幸せです。健康で普通の日常を送れること、そして医療従事者の方々が、今日も医療を提供してくれていることに感謝して日々を過ごしたいと思います。