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医師会からのお知らせ

第30回健康と医療作文コンクール

山梨放送賞

「入院生活から得た医療ケア」
上田 梨恩
韮崎高校2年
「ここ怪我してるよ。なにしたの」
ある日幼い妹が私の横腹を指して言った。
「ワニと戦ったときに食べられたんだよ」
私は咄嗟にそう返したのを覚えている。まだ幼くて物事の理解できない妹のために冗談まじりに言ったが、実際その傷跡は私の過去の努力の証だった。
私の病気はまだ母のお腹の中にいる頃にわかった。腎臓が拡張し、ボールのように膨らむ病気で「水腎症」というものだった。治療のために1ヶ月ごとに手術をし、1歳の時に受けた手術は8時間にも及んだ。妹に聞かれた傷跡はその手術の際にできたものだった。当時の記憶は全くないものの、傷跡が目に入るたび、普通の乳幼児とは異なる経験をしたと実感する。2歳からは病状も落ち着き、入院することもなく年に数回の定期検診へと切り替わった。
何年も元気に過ごしていたが、転機が訪れたのは小学4年生の夏の定期検診の日だった。いつものように診察室に入り主治医の先生の診察を受けている際、突然「お腹が張っている」と言われた。エコー検査を受けると、主治医は検査結果を見せながら私に”再発”を告げた。しかも「いつ腎臓が破裂してもおかしくない。左の腎臓はもうほとんど機能していない。」とのことだった。私は腎臓がどこにあるのかも知らなかったため、当然意味がわからなかったが、母の動揺している姿を見て、ただ事ではないことを察した。すぐに病気の進行を調べるための検査の日程が組まれ、私は腎臓を守るためにと運動を禁止された。どこも痛くない、病気を自覚するようなこともなかったため病気になっているという感覚は一切なかった。だが、主治医は「このまま腎臓を残しておくより、摘出するべきだと思う。」と母に言った。両親は腎臓を残すか否か迷っていたが、私が生まれた頃からの主治医の言葉を信頼して腎臓を摘出することを決めた。
再発が分かってから4ヶ月、私は手術のために入院をした。病棟には私のような子供はほぼおらず、多くの患者が大人だった。担当医も看護師さんも優しく、私に合わせた話題や話し方で入院生活が嫌にならないような雰囲気作りをしてくださった。そのため、普段家にいる時と同じような安定した感情でいることができた。また、担当になった医師と看護師さんは私が1歳の頃に入院した際と同じ方だったため、両親も安心と信頼感を持っていた。手術当日も看護師さんの声かけによって手術室に入ってからも一切緊張することはなかった。手術も1時間半ほどで終わり、無事に腎臓を摘出し傷跡も前とは違い、ほとんど分からないほど小さなものだった。入院期間は少し伸びたものの、2週間ほどで退院した。
そんな入院期間で最も印象に残っているのは、手術が終わってから数日間お風呂に入れない私に「髪の毛だけでも」と看護師さんが髪の毛を洗ってくださったことだ。それは今でも鮮明に記憶に残っている。その看護師さんにとっては日常のケアの一つだったかもしれないが、私にとっては心の温かみを感じることができた一コマだった。
この入院生活は今の医療ケアのあり方の大切さを感じることができたいい経験だったと思う。入院や手術など、普通に生活している上では絶対に経験することのない”非日常”の出来事に直面した時、人は”日常”のままの精神状態ではいられない。自分がどうなってしまうのか分からない恐怖や不安は一人では解決することができない。そんな時、医師や看護師をはじめとする医療スタッフの方々の支えによって、患者の不安や恐怖を少しでも取り除くことができる。また患者自身だけでなく、その周りにいる人の不安も取り除ける。そうすることによって患者は”非日常”を”日常”へと近づけることができる。
「ワニと戦ったんだよ」
ある意味私はワニと同じくらい大きなものと戦ったのかもしれない。病気という普通の人とは違う経験をし、それを乗り越えたからこそ、人の温かみや、そのことに対する感謝の気持ちを人一倍強く感じることができると自負している。病気と闘い、そして乗り越えたという経験は今の私が自信を持てる理由の一つなのかもしれない。私にとっての病気は”非日常”ではなく、”日常”の延長に続いているものなのだ。