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医師会からのお知らせ

第30回健康と医療作文コンクール

山梨日日新聞社賞

「父の姿と自分の夢」
森山 有美菜
山梨英和中学校3年
将来の夢。なりたい職業。聞かれること、学校で発表し合うことが多々あった。その度に自分の夢について考えてみたが、全く分からなかった。
私の両親は私が父のように医師になることを望んだ。私は両親が望むならと、自分の将来の夢は「医師」としていた。しかし、それが本当に自分の夢なのか考えてみると、違うような気もした。本当に医師になりたいのか。あんなに立派で凄そうな職業を私が目指しても良いのか。考えても考えても答えは出なかった。
ある日、学校で一枚のプリントが配られた。職業見学。両親または親戚の職場を半日見学する。そして私は父の職場の病院を見学させてもらうことになった。見学先が病院と決まったとき、わくわくする気持ちと怖く思う気持ちがあった。病院は怖いところというイメージを持っていたからだ。
しかし、当日そんな感情を抱くことは全く無かった。患者としての視点ではない視点で見る病院は、何もかもが新鮮だった。父に連れられいろいろな部屋や機械を見学した。だが、そのどれよりも印象的だったのが、人だった。医師、看護師など総勢約1,300人の職員の方々が、関わり合い助け合いながら病院を動かしている。その姿に、病院の凄さを改めて実感した。そして、その関わり合いの中に父も含まれているのだと思うと、不思議な気持ちになると同時に憧れを抱かずにはいられなかった。
一通り見学した後、父が所属する耳鼻咽喉科の部屋に連れていってもらった。そこで、診察と手術の予定でびっしりと埋められた表を見た。その忙しいスケジュールは、医師が一人でも欠けたら崩れてしまう。
新型ウイルスの感染が拡大し始めてからというもの、父は私の行動をことごとく制限した。部活動の先輩や後輩、同級生とテーマパークに行くことになったときのこと。様々な条件付きだったが、父が珍しく許可を出してくれた。新型ウイルスの影響で学校の宿泊行事は全て無くなっていたため、中学校の友達と長時間遊ぶのは初めてだった。だから、とても嬉しくて、着ていく服や髪形、乗りたいアトラクションまで入念に計画してその日を待ちわびていた。しかし、ある日、テーマパークがある県で感染者が急増した。そして父は私に申し訳なさそうに、テーマパークに行くのをやめるように言った。仕方のないことだからと何度自分に言い聞かせても、どうして何度も、何もかも、新型ウイルスのせいで台無しになるのかという怒りややるせなさは収まらない。どうしてみんなは行けるのに自分だけ行けないのか。涙が止まらなかった。結局、テーマパークにはみんなだけで行ってもらうことになった。
診察や手術の予定を見て思った。もし私や家族が感染してしまったら、父は当然仕事を休まなければいけない。そうなったら誰が父の代わりをするのか。患者さんたちはどうなるのか。私は、父の気持ちや立場を考えずにやり場のない怒りを仕事で疲れている父にぶつけてしまっていたことを激しく後悔した。
父はいつも疲れている。朝早く病院に行き、深夜にぐったりして帰ってくる。当直の日は病院に泊まりこむ。休日に家にいても呼び出しの電話があればすぐに病院に駆けつける。その度に本当に大変な仕事なんだなと感じると共に尊敬する気持ちを持った。
見学の最後に手術を見学した。専用の服やマスクを身に付け何回も入念に手を洗って手術室へ向かう父の背中は、何だがいつもより大きく見えた。手術は2時間に渡り行われた。父と二人の医師が、神経を確認したり血をふき取ったりしながら慎重に患者さんののどを切り開いていく。独特な緊張感の中で立ち続けていたことで私はすっかり疲れてしまった。だが、立っていただけで疲れ切ってしまった私と違って、三人は疲れた素振りを見せなかった。大きな手術だともっと時間がかかるという。そして、10分後にまた別の手術があるからと準備を始めた。時間の関係で一つ目の手術のみの見学となったが、三人の体力に圧倒された。病院から帰るときにふと時計を見るとちょうど12時で、父が前にゆっくり昼食をとれる日はほとんどないと言っていたのを思い出した。
職場見学を通して、自分の中で医師への憧れが芽生えるのをはっきりと感じた。見ているだけではなく、自分も苦しんでいる人や悩んでいる人のために力を尽くしたい。心からそう思った。自分の進む道、成すべきことが少しだけ見えたような気がした。