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医師会からのお知らせ

第29回健康と医療作文コンクール

佳作

「不治の病と向き合う」
小塚 歩
笛吹高校3年
私は、17歳のときに「一型糖尿病」を発症した。「一型糖尿病」は、10万人に1人から2人という確率で起こる病気である。何かのウイルスが膵臓に入ってインスリンを分泌する細胞をこわすことによって発症するものだそうだ。「一型糖尿病」は、脳死膵臓移植、膵島移植を受けるか、生涯にわたって血糖測定を行いながら、インスリン自己注射を続けるしか治療法はない。病名を告げられたときは混乱で目の前が真っ白になった。
私は早速、入院することになった。県内でも大きい病院だったことや初めてのことで怖かった。また、コロナ禍ということで面会禁止だった。入院は十日間で、教育入院だったのですぐに血糖測定、インスリン注射のやり方を教えてもらった。正直なところ、自分の体に針を刺すということは嫌だった。けれど、こうするしか治療法がないのだから、しかたがないと。最初は看護師の人に、やってもらった。しかし、いつまでもやってもらうわけにもいかず自分でやってみることにした。血糖測定、注射がうまくできたからといって嬉しくはなかった。自分で出来たことに対しては安心したが、とても複雑な気持ちだった。
高校3年生で、テストも近く検定の勉強もしなくてはいけないと思っていたが、体と現実がついていかなくて勉強に手がつかなかった。正直、何もしたくなかった。だが、病気についても知らなくてはいけなかった。ドラマでしか聞いたことがない言葉だらけで本当に自分は病気なんだと実感した。なんで私なんだろうと何度も思った。みんなが羨ましかった。そんなときの唯一の支えになっていたのは仲の良い友達や施設の職員からのメッセージや電話でした。面会できなかったためとても嬉しかった。しかし、職員に対してはあたってしまった。これからのことや学校の欠席のことや、いろいろ思うことをぶつけてしまった。だが全部受けとめてくれた。今ではとても感謝している。
いろんな話を聞き、検査をして退院が近づいてきた。嬉しいはずなのに怖かった。学校での日常生活、先生やまわりのクラスメイトの反応、施設に戻れば迷惑になるのではないかと思った。帰ってみると笑顔でむかえてくれて、まわりのみんなも気をつかってくれた。
次の日から学校に行った。昼休みは保健室に行って血糖測定とインスリン注射をした。血糖測定はいつでも測れるように「リブレ」を付けていたので簡単にできた。「リブレ」とは腕に付けるもので五百円玉サイズのものである。最長14日間、1分毎に測定し、15分前にグルコース値を自動的に記録でき、耐水性でもあり便利なものである。
困ったのは、授業中に低血糖になったときだ。一番前の席でどうしたらいいのか分からなかった。前で補食するのに困惑した。そういう状況になったときは、周りがとても羨ましくなる。前までは私も普通だったのにと。
日常生活で様々なことに慣れてきた。学校のクラスメイトには病気のことを隠している分、大変なことはあるが、なんとかやれていて安心している。だが、慣れが一番怖いのだ。人は慣れると手を抜くことがあるからだ。血糖値が安定しているからといって油断はできない。自分でコントロールしなくてはいけないので、生活面ではしっかりずれがなくする必要があった。
私が病気になって思ったこと、経験したことはたくさんあるが、一番に思うことは周りにいる全ての人に感謝したい。医療従事者の方、施設の職員。そして、先生、毎日保健室について行ってくれる友達。病気のことを理解してくれるって当たり前のようで当たり前じゃないこと。病気になって改めて私って幸せ者だと思った。また、今はインターネットが普及している中で病気のことを伝えている人がいる。その人の投稿を見ることで日頃の支えになっている。私よりも幼く発症した子や、モデル、スポーツ選手などたくさんの人を見ると私も頑張ろうと思える。同じ仲間がいることで、共通して話し合えた。それがとても嬉しかった。今は、「不治の病」とされているが、いずれは「根治できる病」となることを願って今できる治療を頑張っていきたい。そして、治療法があり生きていることを実感し感謝し喜びたい。
かけがえのない私の人生が、生命がもっともっともっと輝けるように。