HOME > 医師会からのお知らせ > 健康と医療作文コンクール > 第28回健康と医療作文コンクール > 佳作
医師会からのお知らせ

第28回健康と医療作文コンクール

佳作

「忘れられない出会い」
米山 美南実
山梨英和高校2年
私には忘れられない三人の方との出会いがある。一人目は母方祖父が急性期病院を退院する前に相談した地域包括支援センターの保健師の方。二人目は父方祖母の在宅生活を支えてくださった訪問看護師の方。そして、三人目は県の相談所所長である保健師の方だ。
母方祖父は、私が小学5年の夏の早朝、くも膜下出血を起こし、障害を負ってしまった。麻痺は全身に及び、命を取り留め意識が戻ってからも言語障害、嚥下障害、そして身体障害が残った。今後はリハビリの病院に転院すべきと聞いたが、私達家族はどうしたらよいかよくわからず、不安で一杯だった。
そんな時に相談したのが病院から紹介された地域包括支援センターである。放課後、祖母の家にいると、訪問して相談を聞いてくれた方の名札には、「保健師」と書かれていた。
この方の紹介で、祖父はリハビリの病院に転院でき、ずっと回復することができた。
しかし、嚥下障害は残り、現在は「胃ろう」をお腹に付け、栄養を注入している。それでも私や祖母手作りプリンやとろみのお茶などを自分で食べ、「ありがとう、おいしいよ。」と、私の頭を撫でてくれる。早期に集中してリハビリすることの大切さを、家族皆、身をもって感じることとなった。
次の出会いは、脊柱管狭窄症で歩けなくなり入院していた父方祖母が、一度退院して在宅生活になった時だった。祖母は腰の痛みだけでなく、体力が落ちて風邪をひきやすくなり、下血することもあった。しかし、車イスの祖母を祖父一人では通院させることができない。
心配した私は、祖母の家に行って尋ねた。
「おばあちゃん、病院に行けなくて困らない?」
「大丈夫、看護師さんが来てくれるから。」
家に来てくれる看護師さん?私は驚いた。私はそれまで、看護師は病院や施設の中で患者の看護をする仕事だと思っていたからだ。通院しにくい祖母の体調を、毎週家まで確認に来てくれる「訪問看護師」の方がいることを知り、とても安心できたのである。
私が中学2年の時、祖母はまた入院していたが、退院前に家に戻るための話し合いがあると言う。病院内で行うこの会議に、私は出席させてもらうことにした。祖母の「訪問看護師」の方に会って、祖母の体調はもちろん、その仕事についても知りたいと考えたからだ。
会議の場で初めて会った訪問看護師の方は、家に帰ってからの祖母の治療や健康管理について病院の看護師から引継ぎを受けた後、私たち家族にわかりやすく説明してくださった。更に、この場には祖母の治療と介護に関わる沢山のスタッフが同席され、当初は冷房が効いて肌寒かった室内が、最後は汗ばむほどの熱気に満ちていたことを覚えている。祖母一人のために、これほど多くの方が集まって下さることを知り、私は胸が一杯になった。
家族や私が救われたように、私も将来医療にかかわり、病気や障害があっても、住みなれた家でできるだけ長く生活できるように、手伝いたいと願うようになっていった。
そんな中3の時に出会ったのは、母の仕事先の所長の女性だ。保健師でもあるこの方にお話を聞きに行くと、保健師は病気の予防から考え、地域の人の心と体の健康を守っていく仕事だということがわかった。
「予防」の大切さ。その言葉は私の胸に今も残り、ふとした時にじわじわと心に染みてくる。住みなれた地域で長く暮らすためには、食事や運動を通じての体の健康維持はもちろん、ストレスを減らして心の健康維持を図ることも大切なのだということも教えていただいた。
大好きな祖父母。残念ながらコロナ禍によりなかなか会えなくなってしまったが、今は施設でそれぞれリハビリを続けながら頑張ってくれている。また外出できるようになったら、家に帰って、一緒にお茶を飲んだり、テレビを見たり、散歩したりしようねと、私は手紙を書いている。祖父母の病気を予防することはできなかったけれど、その後の心と体の健康維持を図ることは、私にも手伝えるはずだから。
リハビリをして回復しても、年をとると誰しも徐々に体力は落ちていく。それでも祖父母にできること。好きなことはまだまだ沢山ある。家族として支えていきたいと思う。
三人の医療職の方との出会いは、私と両親、もちろん両方の祖父母にとって、何よりも大きな支えとなった。コロナ禍がおさまったら、私はまた祖父母に会いに行く。祖父母はずっと背が伸びた私を見て、何と言ってくれるだろう。そして、高校卒業後は、おじいちゃんおばあちゃんを助けてくれたあの方たちのように、看護の勉強をしていきたいと話したら、どんな顔をするだろうか。
いいえ、本当はもうわかっている。きっと、笑顔で応援してくれるに決まっている。