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医師会からのお知らせ

第28回健康と医療作文コンクール

山梨放送賞

「曾祖母の願い」
根津 凜太郎
駿台甲府中学校2年
今年の夏は寂しい。毎年、曾祖母が住む丘の上から見ていた花火大会が新型コロナウイルスの影響で中止になったからだ。夏休みも短くなり、家族旅行も中止した。外で食事をする機会もめっきり減り、友達と自由に遊ぶこともできない。緊急事態宣言後、人が密になってはいけないと世の中の行事やイベントが中止となっていった。
そんな中、6月1日に全国の花火業者の有志が、新型コロナウイルスの収束を願い、同じ時刻の夜空に大輪を咲かせた。その時、僕は今年もまた夏の花火が見られるものと期待していたので、中止と知ったときはがっかりしてしまった。丘の上で見る花火は目線と同じ高さで迫力があり、特別な気持ちにさせてくれる。幼い頃からずっと見ているこの花火がとても好きだ。今年、花火を見たかった理由が他にもある。昨年末に曾祖母が亡くなったからだ。
ちょうど1年前に、病気のために入院していた曾祖母は退院し、家に戻った。思い出の詰まった丘の上の家で最期まで暮らしたい。その強い願いを叶えるため、僕たち家族は力を合わせた。バリアフリーにリフォームし、廊下やトイレ、浴槽など体を支えることができるよう、手すりを設置した。ベッドも起き上がりが楽にできるように電動で上下するものを選んだ。ずっと一人暮らしを続けてきた曾祖母は何でも自分でしてきた。丘に登るまでの道の掃除、買物や洗濯、食事の支度、庭で野菜も育てていた。料理が得意で、特に曾祖母の漬けた真っ赤な梅干しは僕の大好物だった。「健康を維持するために大事なのは、自分でできることは自分ですること。機能を低下させないためにも必要なんだよ」と父はいつも曾祖母に言っていた。父は介護の仕事をしている。僕は最初厳しいことを言うものだなと感じたが、曾祖母は「私の為に言ってくれているから感謝しているし、励みにもなっているのよ。」と話してくれた。僕が曾祖母の為にできることは元気な姿を見せることだと思い、曾祖母の家によく遊びに行った。いつ行っても曾祖母は温かく迎え入れてくれた。
退院後も、曾祖母は日々頑張っていたが、次第にできないことが増えていった。自宅までの坂道を登り下りできなくなり、買物に行けなくなってしまった。料理が大好きなのに台所に立っている時間もだんだん辛くなっていった。それでも曾祖母は入院ではなく、自宅に住み続けることを選んだ。最初は買物や食事を手伝う介護ヘルパーさんにきてもらった。計画を立てるケアマネジャーが訪問し、看護師や訪問診療の医師が来るようになった。勉強家の曾祖母は介護保険の仕組みを調べていた。月に1回は通院し、病院で診察を受ける。診察した医師から訪問診療をする医師に情報が伝えられ、それぞれの専門家が曾祖母の為に働き、連携して支えてくれた。住み慣れた自宅での生活を継続するための仕組みを「地域包括ケアシステム」といい、現在国ですすめられている。一人暮らしが長い曾祖母は、話し相手がいなくても寂しくないと言っていたが、大勢の人が出入りすることで会話が増え、とても嬉しいと僕に話してくれた。SNSが発達しているこの時代だからこそ、直接的な人と人との繋がりは一番大事なことだとあらためて僕は感じた。
月に1回通院していた病院では、主治医と緩和ケアの二人の医師が担当していた。病院内でも様々な職種の方が連携をしており、曾祖母を支えてくれた。病状が悪化しても本人を不安にさせることが無かったと今になって思う。病院で働く皆さんの明るい笑顔が印象的だった。
亡くなる直前の2週間は入院した。最後まで自宅に住み続けることを希望していたが、周りに迷惑をかけたくないとその選択をした。そして、一人ひとりに「ありがとう」と声をかけて安らかに眠りについた。周りに支えられ、願いどおり、可能な限り自宅に居られたことは幸せだったと思う。これも家族の協力や医療・福祉の皆さんの協力があってこそだと感じる。
来年の夏は、曾祖母直伝の母の梅干しを食べながら、丘の上から花火を見たい。その日が来るのが楽しみだ。家族みんなで花火を見上げるとき、曾祖母はいつものやさしい笑顔で僕たちを見守ってくれるだろう。