山梨県医師会長賞
妊娠出産は奇跡。生まれてきて自分が今ここにいること、成長を遂げていること、当たり前ではない現状があることを教えてくれた我が子の話。
「胎動少ないんだよね。」妻がいつもと変わらぬ様子でつぶやく。「一応明日、病院いったら?」なんともないだろうが不安材料は取り除いてあげたほうがいいだろう。「一人目の時も同じようなこと言っていたよ。ママ。」「そうだっけ?じゃあ会社に相談して行ってみるよ。」たわいもない話で見送った朝。大したことないだろうと思っていた数時間後、妻から告げられた衝撃。「今病院に行ってみてもらった。赤ちゃんダメだって。たぶん昨日には亡くなっていただろうって。入院の日程も含め先生が話をするから来られる。」泣き崩れることもなく淡々と告げる妻の様子はまるで他人の申し送りのようだった。週数にして23週1日。6ヶ月も終盤のことだった。
私たち夫婦は4年前に結婚。三姉妹の長女だった妻の婿に入る形で私が他県からきた。結婚してすぐに妊娠。第一子は元気な男の子。現在2歳。約2年ぶりの妊娠がわかったとき、もちろん嬉しかったが長男の時程ではなかった。経過も順調だったため、私は長男の時には同行していた妊婦健診に一度も行かなかった。妊娠経過が落ち着いていたこともあり、アクティブに過ごすことが多かった。週末はドライブや旅行、公園で遊んだり、普段はお互い毎日の仕事と家事、育児でストレスフルになっていたことは否めなかった。最近は、イヤイヤ期真っ只中の長男のわがままに耐えきれず、夫婦で叱ったり、言い争いも多かった。しかし、妻から告げられる胎動の様子に長男と一緒にお腹に話しかけたりもしていた。そんな日常に突如突きつけられた事実。
病院につくと妻が冷静に手招きし、待合につく。普段は気にならない妊婦が何人かいる待合が、目につく。まもなく診察室へ呼ばれる。「奥様から既に伺っているかもしれませんが、この度は残念ですが心拍が確認できない状態です。ご主人もエコーでご確認されますか。」「いえ。確認は大丈夫です。」先程エコーで確認したばかりの妻にまた同じような状況を見せることに抵抗を感じた。「では今後の予定ですが、明後日入院し、子宮口を広げて陣痛を起こして産みます。おそらく二、三日の入院になるでしょう。」「はい。」隣では淡々と妻が話を聞いている。涙ひとつ見せず。気丈に振る舞おうとしているのだろうか。その後、助産師から入院についての説明があるも、妻は取り乱すことなく、逆に助産師から心配され病院を後にした。帰宅後、妻が長男に事実を告げる。「赤ちゃん、お星様になっちゃった。バイバイできるかな。」「赤ちゃんお星様ぁ?バイバーイ。チュッ。」この瞬間夫婦の頬を涙がつたった。妻は静かに「ごめんね。」とつぶやいた。入浴前に妻のお腹に触れると、以前にあった膨らみは少なくなっていて、赤ちゃんが小さくなっているのではと感じた。夜、夫婦で小さな折り鶴を作った。この子が生きていた日数と同じ数の161羽。棺の周りに入れてあげたいという妻の一言からだった。何十年ぶりかの鶴に悪戦苦闘しながら深夜まで折った。これくらいしかできることはないと思って。
涙を時折流しながら、妻と今回の妊娠について振り返ってみた。もしかしたらイライラしすぎていたのを制止したり、長男に優しくするよう諭す為に私たちの元にきてくれたのかもしれないね。もう少し穏やかな家庭になるまで見守っているよと旅立ってしまったのかもしれない。そのメッセージをしっかり受け取らないとねと。その夜、中々寝つけず妻の方に目をやると、小さく震えてすすり泣く様子に気付く。それを見て静かに私も涙した。真ん中に寝ていた長男も何か感じたのか、鼻をすする音のする方へ寝返りをうっていた。
それから3日後、産声なく生まれた我が子は小さな柩に納められ、綺麗なベビードレスに包まれ天使となって空へ旅立った。戒名のためにと名前をつけることとなった。最初の親からのプレゼント。この子にとっては最後のプレゼントに“叶羽”(とわ)という名を授けた。長男に性別もわからないうちから「男の子かな。女の子かな。」と聞いていたが、毎回の「女の子ー!」という予言通りの女の子だった。
小さな小さな命がつながり誕生することの奇跡。医療が進歩しても守り切れない命があることも経験した。もしもまた私たちのもとに命の星が舞い降りてくることがあったら、次こそは健診にも一緒に行こう。家族で毎日お腹に話しかけてみよう。笑顔を絶やさないようにしよう。順調に成長する喜びを感じよう。挙げればきりがないが今ある幸せを感じながら尊くすごそう。そんな思いを抱きながら秋の日が短くなった夕方の一番星に手を合わせた。