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医師会からのお知らせ

第26回健康と医療作文コンクール

佳作

「体力に合わせた運動」
内田 敏博
富士川町
定年後はのんびり暮らそうと思っていましたが、胃癌が見付かって全摘手術を受け、20キロ程体重は減りましたが、僕は命を救われました。今迄痔瘻の他に入院経験が無く、自分の健康を過信して癌健診を怠っていた僕は大いに悔やみ、医師にそして現代医療の進歩に助けられ、心底から感謝しました。
30年前に僕の妻は脳腫瘍で、つまり頭部の癌で他界しました。妻の病が今だったのなら手術可能だったのかもしれないと思うと、可哀想でなりません。
そしてもう一つ思ったのは、当時の僕は大病の人の体力の衰えを全然理解していなかったことです。「食欲が無い」と言う嫁さんに、「ちゃんと食べなきゃ治らないぞ」と勧めたり、テレビドラマの途中で眠ってしまったのを、「いいとこ見逃すぞ」と、起こしたりしたのです。笑顔で肯いてくれたけれど、本当はどんなにつらい体調だったのか、体力低下を体験して、ようやく僕は気付いたのです。
その体調も時と共に徐々に戻り始め、散歩も出来るようになりましたので、近所に住む友達の家を訪ねました。まだサラリーマンをしていた頃に、この友人とは勤めから帰って毎夜、富士川沿いの土手道を大橋迄の往復6キロのウォーキングをしていた仲です。
「健康の為に」と誘う友達の言葉に、しぶしぶ付き合ったのが手初めだったのですが、暫く続けると不思議な事に、毎日のその時間が待ち遠しくなりました。有酸素運動が関係するのか分かりませんが、歩行自体に爽快を感じました。夜間で周囲の景色は見えませんから、歩行中は思い出話や仕事のこと、腹の立った出来事や世間話と会話が進み、毎日よく話題が尽きなかったものです。
その友達も定年して家で菜っ葉の種を蒔いていて、これからは二人で明るい日差しの中をウォーキングだと喜んでくれました。
しかし、2日歩いただけで、僕は降参してしまいました。歩行から帰宅後に頭がボーッとなったり、1日目の夜から足がつり、2日目の夜には、こむら反りのあまりの痛さに布団の中で、のけ反ってしまったのです。
二人の体力差はどうにも埋まらず、足手まといになります。僕の体力が段々と向上し、また一緒に歩ける日を目標にして、今は一人で歩く事にしました。
往復6キロの土手道コースは無理だと分かったので、土手を横切って富士川河川敷に降り、疲れたら小休止しながら、川辺を2時間程歩こうと決めました。
小休止はお婆さんから学んだのです。土手上の道で路傍に横たわるお婆さんを見付け、慌てて「大丈夫ですか」と駆け寄りました。「心配してくれて、ありがとうね。でも私はこの花をもっとよく見たくて、目を近付けたんだよ。この方が腰も楽だし」とお婆さんは頬笑みました。簡易舗装の切れた地面を這うように、錠剤程の小ささの黄色の花が群れて咲いて、立ち姿勢では気付かず通り過ぎてしまう、美しい光景が広がっていました。
一人で歩く時は只歩行するよりも、何か興味を沸かせる物があると楽しいと思いました。
川原の平らな石の上にキリギリスを見付け、そっと腰を下ろして観察すると、長い尻尾のような産卵管の伸びたメスでした。その卵が詰まっているらしい肥えた腹部が脈打って、病院で指導され毎日のバイタルチェックが習慣になっていた僕は、思わず目を凝らしました。しかし、秒針を見ながら指先の触診で数える脈拍と違い、おなかの鼓動も目で数えなくてはなりませんから、腕時計もキリギリスも同一視野に収めなければなりません。
驚かせないようスローモーションで時計を近付ける妙な緊張感で測ると、予想に反して、拍数は僕より15もゆっくりの一分間52回、食べ物も住居も自然に任せて、案外ゆとりの、のんびり暮らしなのかなあと勝手な想像が膨らみました。
疲れて川岸に座り込んだ時に、薄茶と緑色のモザイク模様のソーセージみたいな物が、砂の上にポツンとありました。それはよく見ると乾いた古いウンコで、緑はバッタの足や胸などの外骨殻の破片でした。ガツガツと噛み千切って丸飲みし、栄養分だけ吸収して、硬い部分はそのまま排泄して行った正体不明の野生動物、その荒っぽい食べ方に、食事療法中で軟食しか食べれない僕は、ちょっと羨望の気分になりました。
そして自分も頑張って、もっと元気になろうと思いました。少しずつですが、段々歩く量も増しています。友達と議論しながら、笑い合いながら歩ける日を目指して、救ってもらった命を大切に、歩いて小休止して、また歩いております。