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医師会からのお知らせ

第25回健康と医療作文コンクール

佳作

「祖父と意思」
草村 瑠伽
甲府医療秘書学院
「自分の最期をどのように迎えるか」考えたことのある人はどれくらいいるのでしょうか。少なくとも、私は考えたことがありませんでした。自分の死に対して意思を持つことは、早いような気がするのと同時に、死というものがどこか別世界のように感じてしまっていたためです。しかし、死は別世界ではなくいずれ訪れること、自分の最期に対して意思を持つことの大切さを祖父から学びました。
私の祖父は数年前、胃がんで亡くなりました。「自分の家で」です。病院で過ごし、病院で亡くなる人も多い中で祖父は自宅を選びました。なぜ祖父は自宅を選んだのか母に聞いたところ以前別の怪我で長い間入院生活をしていたので「病院はもう懲り懲りだ」と言っていたそうです。また、祖父の胃がんは発見されたときはもう遅く、かなり進行していました。そのため、病院は嫌だという意思も相まって、在宅医療を選んだのです。祖父らしい選択だと私は思いました。
在宅での利点は、残された時間を家族と過ごすことができるところだと言われています。私は本当にその通りなのだなと実感したことがあります。学校のとある課題で、高齢者の方に質問をするというものがありました。その一つに「今幸せなことはなにか」という質問があり、祖父に尋ねたのです。祖父は「あと少ししかない時間の中で、毎日妻とゆっくり家で過ごせることがとても幸せだ」と嬉しそうな顔で言っていました。住み慣れた家で家族と毎日いられることがどれだけ幸せなことなのか、祖父の嬉しそうな表情から私に伝わってきました。大好きなコーヒーを毎日のように飲み、集めていたお酒を飲める今のうちにと開けては飲み、ゆったりと楽しそうに過ごしていました。
しかし、病気は待ってくれません。だんだんと食欲も落ち、コーヒーも飲むことがままならなくなりました。薬などで痛みはある程度抑えているけれど、それは気休め程度で本人は相当辛いはずだという話を聞いたときは、胸が苦しくなりました。祖父の痛みを理解することはできないとは分かっていても、何もできない自分が情けなかったです。
その日は、学校が終わって家に帰った頃でした。祖父の容態が悪くなったと言われ、すぐに祖父の家に向かいました。数日前までリビングでテレビを見ていた祖父は、ベッドの上で横になり、苦しそうに呼吸をしていました。傍では母が脱脂綿に水を含ませ口に当ててあげていました。私が近くに行くと、祖父は虚ろな目で上を向いたまま、手を伸ばしてきました。その手を握り返して声を掛けると、少しだけ祖父の手に力が入りました。私は泣きながら声を掛け続けました。今でも、あの時の祖父のごつごつした手の硬さや、大きさを覚えています。その後、一旦自宅へ帰りましたが、祖父はその日の夜中に息を引き取りました。
私は祖父の最期を看取ることはできませんでした。それはとても悔しいことです。しかし、妻や娘、息子に看取ってもらうことができて祖父はきっと幸せだったと思います。慣れ親しんだ家で、最愛の人たちに看取られるというのは、至極の幸せではないかと私は思います。確かに病院でも家族に看取ってもらえることができます。しかしもし私だったら、一緒に思い出を作り上げてきた家族と、その思い出のたくさん詰まった家で看取られたほうが幸せに旅立てるのではないかと思います。
祖父はもういません。どんなに願っても、「おぉ、よく来たなぁ」と笑顔で迎えてはくれません。いずれ人には生を終える日が来ます。どこか遠く感じていた死というものを改めて考えさせられました。なぜ、生まれてきたのに死というものがあるのか、一時真剣に考えました。答えは見つかりませんでした。ただ、死を免れることが出来なくても、祖父のように自分の人生を、最期をどのように過ごすか選択することはできます。自分の最期の時間を家族と共に過ごす。現代の日本社会ではなかなか出来そうで出来ないことだと思います。「こうしたい」という意思を持つことによって、その人を幸福に包むことができる意思表示というのは、自分と他の誰かを幸せにできるものだと思いました。例え、苦しんでいる姿や亡くなってしまうのが辛くても、選択した人の、祖父の最期が幸せであったのなら素晴らしい人生の終え方だと思います。
他人事だとは思わず、早い遅い関係なく、自分の意思を家族と共に話し合っていければ良いなと思います。