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医師会からのお知らせ

第25回健康と医療作文コンクール

佳作

「今、シャトルを追える幸せ」
久瀧 愛桜
勝沼中学校1年
私の左ひざには、大きな傷があります。それは、私が4才の時に手術をした傷跡です。
赤ちゃんの時から、左ひざに赤紫色のできもののようなものが、できたり消えたりを繰り返していました。母がその事に気が付き父と相談をして、かかりつけの病院の小児科へ行ったそうです。いつもの先生に相談をしたところ、同じ病院の形成外科の受診をすすめられました。表面上のあざであれば県内にある大学の附属病院にあるレーザーで、あざを消すことができるかもしれないと言うことで、紹介状を書いてもらい、その大きな病院を受診しました。
そこで、ようやく、私のひざにできたものが何か分かり始めました。「イチゴ状血管腫」か「海綿状血管腫」かのどちらかだと言うのです。残念なことにその病院のレーザーは皮ふの表面にできたものには有効でしたが、私の場合は皮ふの深い所にあってレーザーが届かない位置にあったのです。だからレーザーで治療することはできませんでした。山梨では珍しい症例だったようで、ひざの写真を何枚も撮ったりたくさんの医師や医学生の人達が私のひざを見に来たそうです。子どもの症例はさらに少なかったため、経験豊富な病院で見てもらうためにまた紹介状を書いてもらい、県外のこども病院を受診することになりました。
診断結果は「海綿状血管腫」でした。手術でないと取り除けないことが分かりました。手術前の診察で何回も検査を受け、手術の日程が決まり、平成21年5月8日に手術を受けました。手術の前は、母は何日も眠れず私のひざを一晩中さすっていたそうです。これ以上悪くならないこと、将来思いきり走りまわれること、成長のさまたげにならないことを信じて願ってさすり続けたと言います。父も自分の力ではどうにもできないから、後はお医者さんに任せるしかないと、信じて祈ることしかできなかったそうです。
手術は2時間ほどかけて行われました。麻酔が効く直前まで両親がずっと側に付き添ってくれました。麻酔のマスクをしてしばらくすると突然激しく足をバタバタさせたので、父も母も驚いて不安になったそうです。その様子をみて看護師さんが
「麻酔が効いてくると足をバタつかせるお子さんは多いんですよ。」
とすぐに説明をしてくれたそうです。麻酔には果物のにおいがついていて、手術を受ける子どもが不安にならないよう、工夫や配慮がありました。
手術中のことは当然ですが、私は全く覚えていません。しかしそれを待っている間の父と母は、ひたすら手術室の前で無事に手術が終わるのを祈って待っていてくれました。
手術が終わり、まだ麻酔が効いていて私の目が覚めない間に主治医の先生は、手術の結果や手術で取り除いたもののホルマリン漬けを見せてくれたりと、丁寧な説明をしてくださいました。その説明を聞いて少し安心をしたそうです。しかし、マイナスな内容もあり不安な気持ちになったけれど、きちんとした説明に信頼を覚えたそうです。
こども病院には、私よりもずっと重症な病気を抱えている子供達が大勢いました。病と戦っている人達は、大人でも子供でも辛くさみしい気持ちを抱えて病気と向き合っています。私も幼かったけれど同じ気持ちを感じていました。それを支える家族も病院の先生方や看護師さん達も、その気持ちを軽んずることなく、寄り添い励まし合って共に闘病している姿は、当時の私の記憶にも深く刻まれています。
だからこそ今というこの瞬間を大切にして、自分にできることを最大限の力でひとつひとつ一生懸命取り組むことがとても大切なことだと私は考えます。そして、私にしかできないことが何か必ずあるはずです。それを探しながら私は、何事にも全力で立ち向かっていこうと思っています。
この春、中学生になった私はバドミントン部に入部しました。思いきり走ったり、激しく厳しい練習をする毎日です。この当たり前の様な日々があるのも、私の血管腫を治すためにたくさんの医療に関わる人達が手助けしてくださり、たくさんの想いが私を支えてくださったからこそ今こうして、思いきり頑張れるのだと思っています。中学1年生の今、これまで私を支えてくれた想いと優しさとそれに対する感謝を胸に、白いシャトルを追うことのできる日々を大切に過ごしていこうと思います。