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医師会からのお知らせ

第25回健康と医療作文コンクール

佳作

「我が家のホームドクター」
日沼 よしみ
南アルプス市
夫がパーキンソン病を発症したのは50代、在職中だった。すでに10年以上が経つ。
猛暑が予想された夏の前、このところの体調の不安定さが気になっていた夫に、主治医のM医師からリハビリ入院の提案があった。
「集中的なリハビリによって、今以上のレベルを十分に維持できますよ」
何より家のベッドが好きな夫が不承不承でも受け入れたのは、このM医師への絶大な信頼があるからだ。
パーキンソン病の症状は多岐にわたる。もろもろの動作が緩慢になり、筋肉や関節の萎縮から転倒しやすくなる。表情が乏しくなり、ろれつが回らないような言語障害や、幻覚を伴うこともある。衰えてゆく体力や機能を、日常生活になるべく不自由がないように、投薬やリハビリによりコントロールするのみ。目覚ましく医学が進歩するさ中にあっても未だ完治は望めない、そんな病気だ。
 
夫は、発症以来、数年前まで大きな総合病院に通った。
担当のM医師は、夫が診察室のドアを開ける時から、その表情を丁寧に観察し、筋肉の固縮や足の歩みを確かめた。日々の暮らしの不自由さに耳を傾け、処方薬の説明を怠らなかった。診察を終えると、付き添う私が診察室のドアを閉める瞬間まで、まっすぐに私の目を見ながら見送ってくれた。捉えどころのない不安に揺れたとき、良薬にも増してその眼差しに救われたこと、いかばかりだったことだろう。それだけに、M医師が依願退職をすると聞かされたときは、本当に大海に放り出されたような心細さだった。
夫は、総合病院から神経内科の専門病院に移り、院長先生の診察と、病院に併設されているデイケアでリハビリを受けるようになった。
2年以上を経た今年の春先、院長先生が突然倒れた。
経営トップの理事長の采配だったのだろう。病院の閉鎖を避けるべく、県内はおろか在京の医師までも動員して、10人以上がローテーションを組んだ診療体制となった。が、いかに高邁な先生方ともいえども、そのつど替わる診察医に、複雑なバイオリズムの変動に悩まされる日々を正確に伝えきれない。もどかしさは、ときを待たずに大きな不安に変わっていった。
2か月近く経ったころのことだ。診察医予定表の中にM医師の名前を見た時のうれしさは、いったい何に例えられるだろう。
私たち夫婦は、その日を待ち望んで、M医師の診察日に病院に行った。
「久しぶりですねえ。お元気でしたか」
相好を崩し、夫の両の手を握りしめてくれた瞬間から、夫はまたM医師の患者になった。
 
3か月を目途に夫がリハビリ病院に入院をし、その半ばを過ぎた頃だった。私の血圧の薬がなくなった。すでに私の主治医もM先生と決め、病院に行く。
「ご主人は入院先の先生に任せるとして、奧さんの体調はいかがですか。休めていますか」
「はい。不思議なくらい頭痛がなくなりました」
「それはよかった。10年は長い。気が付かない疲れが潜在的に溜まっているはずです。今回の入院は、ご主人のためだけでなく、奧さんのためでもあります」
ふわっと、体から力が抜けた。熱いものが胸の奥から湧いてくる。
わかっている。私だって知っている。夫より重篤な病人を、家族みんなで一生懸命に看ているひとたちがたくさんいることを。私自身は、時として身動きできなくなるような心細さを、有能なケアマネージャーや熱心なデイケアのスタッフに支えられていることを有り難いと思っていた。
それでもなお、拭いきれない不安を覚え始めていたのは「精神的」の域を超えて「身体的」な不調が、私自身に出始めていたからだろう。頭痛、腰痛、動悸、めまい、脳こうそくの痕跡。いずれも寝込むほどではない程度の小さな違和感は、きっと古希を目前にした年相応のものに違いない。
今まではよかった。けれど、これから先は違ってくるかもしれない。
「頑張りすぎないで、これからは、ご自身を休める時間も上手に取り入れていかないと」
休む時間。そうか、私も休んでいいんだ。張りつめていた糸が一瞬にして緩んだ。晴れ晴れとした安堵感。私が望んでいたのは、医師からのこの一言だったかもしれない。
診察を終え、受付で翌月のM先生のスケジュールを確認すると「秋口からはM先生の診察日が大幅に増える予定ですよ」と、精算の小銭を手渡しながら小声で教えてくれた。
外に出た。9月になって、急に空が高くなった。予報通りの暑さだけれど、かいくぐって、かすかに秋の風がよぎっていく。
病人だけでなく、病人を看る家族の気持ちにも心を寄せてくれる医師が、ホームドクターとして身近にいてくれることの、この心強さ。
車のエンジンをかけながら、これからのひと月で為すべきことを考える。フローリングのワックスかけ、多少の家具の配置換え、父親の法事、人間ドック、映画鑑賞や美術展、孫の運動会もある。みんな終われば、夫の退院。そしてまた、今まで通りの2人の暮らし。大丈夫。なんとかなる。なんとでもなる。