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医師会からのお知らせ

第24回ふれあい医療作文コンクール

佳作

「祖父が信頼していた医師」
穐山 ひかる
駿台甲府中学校2年
昨年の12月末、寒い日が続いていた頃。夜中に突然、祖母から電話がかかってきた。
「おじいちゃんが血を吐いた。これから病院に連れていく。」あんなに元気だったおじいちゃんが、どうして…。そう聞き直すことしか出来なかった。病院で診療してもらった結果、祖父は重い肺炎になっていたことが分かった。入院が決まった時から母や祖母がつきっきりで看病し、私も何度かお見舞いにいった。どうか命だけは助けてほしい。そう願うばかりだった。しかし、祖父の体はいっこうに良くならず、眠っている時間も多くなった。そして亡くなった当日、姉と私が病院に行った時にはもう間に合わず、眠るように息を引き取った後だった。私達が何度呼びかけても二度と目を開けてくれることはなかった。私はその事実を受け止めることは出来ず、泣き続けていた。すると、祖父の臨終に立ち会った女医さんが私達に優しく声をかけてくださった。
「おじいちゃんは、昭和のお父さんという感じで、痛みやつらさも顔に出さず必死で耐えていたけど、本当に頑張っていたんだよ。20年間の長い通院生活だったけど、泣きごと一つ言わずにいつも感謝していたって主治医の先生も言ってたよ。おじいちゃんは、あなた達のことが大好きだったんだから、つらいときは泣いてもいいんだよ。」この言葉を聞き、私は祖父がこの病院で何年も大勢の医師や看護師に大切にされ、病気と闘っていたことを知った。そして、幸せそうな祖父の笑顔が思い出され、自然と泣きやむことができた。
後に母から聞いたことだが、入院している5日間で、祖父は何度も急変しそうになり、その度に医師や看護師を呼んだという。何人もの患者がいて大変なはずなのにすぐに駆けつけ、処置してくれたそうだ。そして処置が終わると、「もう大丈夫ですよ。」と優しく声をかけてくれた。また、主治医の先生は、休日であるにもかかわらず、病室に足を運び、母たちを励ましてくれた。さらに、鎮静剤で眠っていて話ができない祖父にも必ず話しかけてくれたそうだ。治療方針についても、何度も母や祖母に話を聞いてくれ、できるだけ祖父が苦しまないよう、そして家族が後悔しないよう丁寧に説明してくれたと言う。祖父は、私が生まれる前から、肺の病気でこの総合病院に通っていた。私も小さい頃何度か通院する祖父についていったことがある。「この子が大きくなるまで元気でいたい。」とか「平均寿命の80歳までは生きたい。」という話を先生の前でしていた。その度に、少し微笑しながら、「では、かぜをひかないように。」とか「息苦しくなることがあったらすぐに来て下さい。」と優しく語りかけていた。私は、祖父の治療にあたってくれたあの医師のことを今でも鮮明に覚えている。笑った時の優しい笑顔。処置中の真剣な顔。頼もしい背中。その全てに勇気をもらい、祖父も元気づけられた。祖父の死の間際の対応にも、祖母や母たちは、どんなに救われただろうか。大切な家族がもうすぐ死ぬかもしれないという時に、親身になって手を尽くしてくれたその姿は、言葉では表しきれないほど、大きな存在だった。
長い人生の中で、人は病気にかかったり、体が不自由になったりすることもある。その時には、誰かに助けを求める。人生の中で、そんな大切な期間に、家族以外で直接関わるのは医療関係者だ。どんなに元気な人であったとしても死を免れることはできない。そして、今は、ほとんどの人が病院で死を迎える。以前、病院というのは、産科病棟以外の病棟は全て痛みや苦しみと闘っている患者さんばかりだということを聞いたことがある。だからこそ、医療関係者は、頼ってくれた人に対して、全身全霊で処置を施さなければならない。患者やその家族に寄り添い、専門家として、延命や治癒のための治療にあたるだけでなく、患者や家族の希望に添った、その人らしい死を迎えられるよう、また治った後の生活がその人らしくいられるよう心をくだかなければならない。
私は将来、医療に関わる仕事につくのが夢である。あの優しく、かっこいい医師に感動してから、ずっと目指してきた夢だ。その夢が叶ったら、病気で困っている人を1人でも多く助けられるよう努力したい。そして、その命を取り巻く、たくさんの人々に勇気や希望を与えたい。たくさんの人が期待や、信頼を寄せてくれているからこそ頑張れる。祖父のために力を尽くしてくれた医師達のように信念をもって人の命に関わる仕事をしたいと強く思う。患者やその家族から信頼を寄せてもらえる人になれるように頑張りたい。