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医師会からのお知らせ

第24回ふれあい医療作文コンクール

佳作

「心の支え」
田中 萌
甲府南高校1年
小学6年の5月、私の大好きだった祖父は帰らぬ人となった。そして私は、祖父の闘病生活をきっかけに、看護師になりたいと思うようになった。
祖父が倒れたのは、私が4年生のとき。肺がんだった。糖尿病でもあった祖父は、治療が難しく、お医者さんからは、手術はおすすめしないと言われていた。しかし祖父は、「生きたい」と願い、手術を頼んだ。
手術は成功した。どんどん元気になる祖父を見て、とっても嬉しかったし、担当看護師のAさんも明るい人だったので、会うのが楽しみだった。週末は必ず病院へ行っていた。
しかし、ある日を境に祖父は別人のようになってしまった。家族の名前も忘れ、暴言暴力は当たり前、口がうまくまわらず、赤ちゃんのようだった。手術は成功したが、低血糖になり、容態が急変してしまったのだ。私は、変わりはてた祖父の姿を見て、どう接していいかわからず、会うのが怖くなった。楽しみだったはずのお見舞いに、行きたくなくなってしまった。私だけではない。父も母も、病院へ行けなくなってしまい、祖父のことを避けていた。
ある日、祖父の下着の着がえを持って病院へ行った。置いたらすぐに帰ろうと思って、急いで病室に入ろうとすると、Aさんが私を見つけて、
「萌ちゃーん。よく来たじゃん。会いたかったよ。ほら、おじいちゃんも嬉しそう。」
と言い、私を抱きしめてくれた。祖父もこっちを見ながら、Aさんのまねをして、「萌よく来たじゃん。萌、萌。」と言ってくれた。私は、Aさんの腕の中で思わず泣いてしまった。するとAさんは何も言わず、ぎゅっと抱きしめてくれた。
しばらく涙が止まらなかった。とっても嬉しいはずなのに、胸がちくりと痛かった。でも、「支えてくれている人がいる、1人じゃないんだ」と思えたので、私たち家族は、また病院にかよえるようになった。父と母は、毎日交代で仕事帰りに祖父のところへ行き、お世話をしていた。Aさんから、たくさんいろいろな事を教わりながら介護を学んでいた。家に帰ってくるのは夜の10時近かった。そんな2人を支えたくて、家の手伝いを積極的にするようになり、家事を覚えることができた。今思えば、とても大変な2年間で、一日一日があっという間に過ぎていったように思う。でも、みんなで支え合い、はげまし合っていたので、家でも病室でも笑顔が絶えなかった。
人と人とのつながりで、こんなに強くなれて、苦しい事も楽しく乗り越えていけるのかと思った。毎日大変なはずなのに、あの2年間は、楽しい思い出ばかりだ。限界を感じることもあったし、泣きたいときもあった。でも、Aさんの言葉、家族の笑顔、祖父の楽しむ姿を見ると頑張ろうと思えた。そして、「もっと生きてほしい」と思うようになった。
しかし、別れの日はやって来た。祖父は、親せきの人、友達など大勢の人に囲まれて亡くなった。死の直前、「ありがとな」と消えそうな声で何度も何度も言っていた。その言葉で、今までの苦労が全てふっとんでしまった。だから私たちは、最期まで笑顔で、祖父の隣にいることができた。
あの時、Aさんがいなかったら、こんなに幸せな日々をおくることはできなかったと思う。患者である祖父だけでなく、家族の私たちのことまで支えてくれて、笑顔をくれたAさんに、心から感謝している。そして、変わりはてた祖父のことを否定せずに、受け止めて、ずっと優しく接してくれていたAさんを尊敬している。
今、医療技術は進んでいて、機械でできることは多くなっている。しかし、「人の心を支える」「温もりを伝える」というのは機械にはできない。だから私は、1人でも多くの人を笑顔にできるような看護師になって、悩んでいる人たちを救いたい。たくさんの命とふれ合って支えていきたい。そのように強く思っている。