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医師会からのお知らせ

第24回ふれあい医療作文コンクール

佳作

「いつもそばに」
笠井 涼加
山梨英和高校2年
体を自由に動かすことができない。自分の意思を相手に伝えることができない。そんな自分を想像することができるだろうか。そのような人を見かけた時に、ただ、「かわいそう」という感情論だけになってしまってはいないだろうか。あの体験をするまで、私もそうであった。
高校2年生になり、私はある病院の「一日看護体験」に参加をした。もともと医療の職業に興味があったというのと、看護師の仕事を実際に体験してみたい、というのが参加しようとした動機だろう。
ナース服に着替え、とても身が引き締まる気持ちになると同時に、貴重な体験ができるということに期待に胸を膨らませていた。ところが、私の目の前に現れたのは、イメージを覆すような光景であった。私が担当したのは重症な心身の障害を持った人が入院している病棟である。中に入った瞬間、私が以前、祖父の入院のお見舞いに行った時の病棟とは明らかに違うのだということを認識した。病室にはドアがなく、一つ一つの部屋が丸見えの状態であった。それ以上に驚いたのは高い柵で四方八方囲まれたベッドである。私も看護師さんに勧められ、患者さんが使っているものと同じベッドに横になった。立っても超えて怪我しないようにという理由で作られたそうだが、その高さの柵にはただただ圧迫感があった。患者さんも私が体験したように、同じ恐怖感で毎日寝ているのかと不安になった。今まで見たことのない病棟の姿に驚くばかりであり、その時の私は、その場の状態を理解するのに必死であったのだろう。床に座っている人、大声をあげる人、私がイメージしていた看護師体験の想像をはるかに超えるものであった。「ここで一日どのようなお仕事をするのだろうか。」「私がうまくサポートをすることができるのだろうか。」その時の私の感情は、さっきまでの気持ちと対極にあったのである。お昼の時間に近づき、廊下では大声を発して動きまわっている人がいた。患者さんは自分なりに意思表示をしているのだと感じ取ったが、私の中の不安は一層増すばかりであった。また、何もサポートできない自分が嫌になった。「お昼はもう少しだから待っていてね。」「今日のお昼ご飯は〜だよ。」会話をすることは絶対できないと分かっていても、看護師さんは笑顔で優しくそう言う。患者さんの少しの表情でも読み取り、同じ気持ちになって話しかけている、その姿に私は強く心を打たれた。
午後は外で日向ぼっこをした。それは、自分では外に出ることのできない患者さんに外の景色を感じさせてあげようと、1人の看護師さんの提案であった。ここにも患者さんを気遣った工夫がされていると感じた。私も一緒にお手伝いをし、小さい子供から大人までの患者さんを外へ運び、横に寝かせた。すると、その時、患者さんの変化に私は気がついた。にこにこと微笑む表情を見せる人、体を動かして、楽しさ嬉しさを表現する人。外の景色、空気、何かを感じ取ってくれているのだと私は嬉しい気持ちになった。不安であった私の気持ちは一瞬にして消え、その瞬間、看護師という仕事の本当の姿、意味がわかった気がした。「太陽がきもちいいね。」患者さんと看護師さんが笑顔になり、暖かい空気がその場を包んだ。「今日は学生さんが来てくれてすごく喜んでいるよ。いつもより張り切っているわ。」私にかっこいい姿を見せてくれようと、ある男性の患者さんは一生懸命自分で車椅子を進める。看護師さんのその一言に私はやりがいを感じた。
「医師を一番近くでサポートする人」から「患者さんを一番近くでサポートする人」へと、この体験を機に、私が描く看護師像は変わった。それは、患者さんの気持ちを理解し、いつもそばで寄り添っている看護師さんの姿をこの目ではっきりと見ることができたからである。また、自分で体をコントロールできなくても、自分の意思を伝えようとする患者さんの姿からは、これからも一生懸命生きていこうというたくましさを感じた。そして今日も私は信じている。どのような立場におかれる人も、一人ひとりが輝いて生きていくことができる社会になることを。