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医師会からのお知らせ

第24回ふれあい医療作文コンクール

山梨放送賞

「在宅医療の在り方」
瀧口 桂子
甲府市
昨年10月下旬、主人が体調を崩し主治医の診察を受けました。20年来糖尿病を患っており、血糖値には気配りして医師の指示通り就寝前1度3単位のインスリン注射と投薬でコントロールしておりました。
今回は風邪と思っておりましたが、血痰が数日出て止まりませんので、胸のレントゲンを撮ってみました。
胸水が溜まっていたので呼吸器科の検査を受ける様に奨められました。胸水を抜き乍ら結核と肺癌の検査を同時進行で3回行いましたが、前者は3回共陰性でした。再に精度の高い胸腔鏡検査の結果、扁平性肺癌と云う信じ難い診断が下されました。主治医が中心となり経過説明と今後の治療について患者も交えた親族との話し合いの場がもたれました。長時間にわたり様々な議論が交わされましたが、「過酷と思われる治療はせず自然に委ねる」と云う患者本人の意を尊重する事に致しました。
左横腹を3cm程切開し、胸水を抜く為のチューブを挿入する手術をし、ベッドの横に機器を設置し、酸素吸入と投薬に依る治療が始まりました。
主人は明るく開放的な性格で何事にも積極的に取り組む人でしたので、チューブでつながれた不自由な体、カーテンで仕切られた狭い空間に馴れず、耐え難い日々であったに相違ありません。度重なる検査の結果、ステージ4余命5ヶ月、春は来ないと厳しい宣告が突きつけられました。
私共家族に誰云うともなく夫を父親を祖父を出来る限りの看護、介護、看取りをしようと強い団結心が芽生えてきました。私自身持病もありますので血液検査の他各種・検査も受け、万全の態勢で覚悟を決めました。バスを乗り継いで見舞う事が日課となりました。
癌と知らされ、未知の世界・死の恐怖を考えるのか、口数も減り、声も小さく、無表情になってゆく夫と向き合い、何と励ましてよいのか試行錯誤の日々が続きました。孫は食欲の落ちてくるのを感じ、仕事の帰りに夕食を食べさせに毎日見舞ってくれました。私には我儘で残す主人も孫に「あと一口、あと一匙」と強いられるとそれには甘えて完食です。若ければ3〜4日で抜ける筈のチューブも10日程経過してから抜け、少しは楽になった様でした。地域包括のケアマネージャーの手配に依り市の介護認定を受け、要介護4と認定されました。
3週間程経過した時期に病院側から病状も固定してきているし、投薬のみの治療となってきたので、転院か在宅医療に切り換える様に、との要請が出されました。家族とも話し合い、我が家が大好きな主人の気持を尊重し、後者を選択致しました。
主治医の経過報告を主とし以後在宅医療に携わってくれる訪問医、ケアマネージャー、訪問介護師等各方面の方々が同室に会し患者、家族を交えてカウンセリングが開かれ、各分野から細かいお話を聞く事ができました。初めて知らされた重大な責務に不安が伴ない押しつぶされそうな気持になりましたが、命の尊厳に強く感動し皆様のお力にすがり乍ら頑張ろうと決心し、在宅介護の一歩を踏み出しました。
月2回の往診、週2回の訪問看護(入浴可)、医師が指定する薬局へ処方箋をファクシミリで送信すれば薬剤師が薬を届けてくれるシステム…何と有難いチームワークかと驚き、その利便性に安心して患者と向き合える事ができました。看護師訪問の際、入浴後茶を飲み乍ら軽いジョークを云ったり、世間話を聞いてもらえる楽しささえ見受けられました。
「心配事は無い?奥様体に気をつけて」と気遣って下さったケアマネージャーの存在が心の支えとなりました。
ベッドの横に酸素濃縮機を設置、15m程のチューブを鼻に入れての生活でしたが、トイレ、浴室、居間の往来は自由にできました。居間を隔てた私の部屋にはナースコールを取りつけました。正月は子や孫が集い例年通りの行事を楽しく送ることが出来ました。1月半ば頃から少しずつ胸、背中の重苦しさを訴え始め、少量の麻薬が使われる様になりました。2月1日早朝呼吸困難になり救急搬送による再入院をよぎなくされました。
記憶違いや妄想の症状が出始め病室を抜け出て1階ロビーで保護されたり、夜中トイレに行って転倒するなどで要注意患者となり個室へ移されました。肺癌もかなり進行していて片肺は真白で殆ど機能していない様でした。
10日程の入院でしたが「家に帰りたい、帰りたい」と云う患者の意志と家族も先は短いと察知致しましたので、緩和ケア病室を予約しての退院となりました。「どこか痛い?」「大丈夫だよ」60年連れ添った老夫婦の会話の中、食欲も減り身体も日毎に痩せ細っていく姿を目の当たりにして涙をぬぐう毎日でした。
往診医は何時も笑顔で接していただき「頑張ろうね」と励ましの言葉をかけて下さいました。「先生から先に俺に握手してくれたよ」嬉しそうな笑顔、今も忘れません。
介護士さん、仕事を終えた帰り際、「又来るからね、元気でね」。次につながる希望の言葉です。
孫が来るのを楽しみに待ち、人生訓を語るのも印象的でした。緩和ケアへの入院を予期して長男が散髪をしました。何時もスポーツ刈りですので、バリカンで散髪、恒例行事でした。「ほら、おやじ、さっぱりしたじゃん」と差し出した鏡ににっこり笑顔頭をぺこりと下げました。
亡くなる前日、訪問看護の日で入浴の準備もしたのですが微熱が有り不可となり帰りました。ところがその後間も無くトイレを済ませた後、1人で浴室に入り、湯船にどっぷり浸かっていました。一瞬の出来事に無我夢中で介助し事なきを得ましたが、これが自身で行った旅立ちのお清めの儀式となってしまいました。
夕食はおもゆ、スープ、鮪のたたき、すり林檎等をゆっくり時間をかけてやしなって食べさせました。何時もの夜と違って少し息使いが荒い様子でしたので、余り話しかけず「頑張ろうと」と云うと「他人(ひと)の為に俺はまだ死ねない」とはっきり云い返してきました。他人様の事を思いやる世話好きな人でした。額を撫で「何かあったらコールしてね、お休み」と…。寝つけぬまま夜中に何度も見回ったのですが、何事も無くよく眠っておりました。
朝6時の投薬がありますので「おはよう」とドアを開けてビックリ。返事がありません。まだホカホカと体の温もりはありましたが、「さよなら」も云ってくれず眠った侭の安らかな姿でした。
享年82才10ヶ月、闘病期間4ヶ月ではありましたが、貴重な体験を致しました。今回私共に携わって下さった医療関係の皆様のチームワークの素晴らしい活動に改めて感謝致します。最愛なる夫を自宅で看取る事が出来た幸を生涯の集大成と自負しております。