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医師会からのお知らせ

第24回ふれあい医療作文コンクール

山梨県医師会長賞

「やさしさにつつまれて」
土橋 幸十美
羽黒小学校6年
私の心臓は規則正しく動いています。だから、走る事が出来ます。泳ぐ事もジャンプも出来ます。それが、あたり前の事だと思っていました。かぜをひいて学校を休んだ事はあるけれど、健康だと思っていました。あの時までは。
それは突然のことでした。昨年の1月にいつものように家族四人で初もうでに行きました。「胸がドキドキする。何か変。」走ってもいないのに、私の心拍は急に200をこえてしまいました。日曜日だったので、父と母は、私を救急センターに連れて行きました。インフルエンザが流行していたので、救急センターには大勢の子供達がいました。なのに私は順番を待たず、すぐに診察室に呼ばれました。先生は心電図をとって、大きな病院に行くようすぐに準備をしてくれ、私は救急車に乗ることになりました。「救急車に乗るなんて、私はそんなに悪いの?」とても不安な気持ちでいると、救急車のお兄さんが「大丈夫だよ。これから病院に行くからね。」と声をかけてくれました。「私も一緒に救急車に乗るから、大丈夫だよ。」救急センターの看護師さんが一緒に救急車に乗って、病院までついてきてくれました。病院につくと、機械だらけの部屋で、体にいろいろな物をつけられました。「私はこのまま、どうなっちゃうの。」不安と恐怖で頭がいっぱいになりました。私はそのまま入院し、その日から何もかもが、変わってしまいました。小児科病棟には面会制限があり、特に子供の面会は禁止されています。母がずっとそばにいてくれましたが、姉には会えません。あたり前にできたことができなくなり、さみしさとくやしさ、「なんで私が。」という思いでいっぱいでした。3学期が始まったばかりでしたが、学校にも行けません。ずっとベッドの上にいなければならず、とてもたいくつでした。しかし、しばらくすると、今まで知らなかった事が見えてきました。食事は温かい物は温かく、冷たい物は冷たく冷やされて、病室まで運ばれてきます。選択メニューという日もありました。それぞれの患者さんの病気に合わせて食事を作るだけでも大変なのに、すごいと思いました。看護助手さんは、ゴミを集めに来てくれたり、付きそいのベッドの用意をしてくれたりしました。マットレスが2枚もしいてあって、母は「体が痛くならなくて、とても助かった。」と言っていました。薬剤師のお姉さんが病室に来て、飲んでいる薬の話などを聞いてくれました。そして、小児科病棟には院内学級がありました。入院で学校に行けない子供達のために、先生が病室に来て、勉強を教えてくれていました。私は、病院ではお医者さんと看護師さんが働いているという事は知っていましたが、これほど多くの職種の人達が働いていることを知りませんでした。たくさんの人達が私の入院生活を、支えてくれていることに気付きました。
いろいろな検査をして、私の病名は発作性上室性頻拍と分かりました。退院して、学校に通えるようになると、保健の先生と担任の先生、そしてクラスメートが私の体を気づかってくれました。発作が起きた時には、どう対応したらよいか、何度も面談をして職員会議でも話合ってくれました。とてもうれしい事でした。しかし、発作は何度もおこり、その年の4月に手術を受けることになりました。「簡単な手術だから大丈夫だよ。」先生も父も母もそう言うけれど、手術をしなければならないなんて、私はイヤでイヤでたまりませんでした。今度の入院は、心臓の専門病棟でした。主治医も心臓の先生に変わりました。手術の前には先生だけでなく、手術室の看護師さんと薬剤師さんが病室に来てくれました。そして、小児科の先生も来てくれ、皆が私のためにと思うと、とても元気が出て、うれしくなりました。
私はこの入院で多くの事を学びました。家族と一緒にいられること、健康で生活できることはあたり前の事ではなかったということ。そして、病院にはお医者さんだけでなく、看護師さん、薬剤師さん、栄養士さん、看護助手さんなど、たくさんの人が働いていて、患者さんのために、という同じ目的に向かって、皆がそれぞれの技術と知識と役割を持って、協力し合って働いているということです。
私は将来、教師になりたいと思っています。たくさん勉強して、専門的な知識を身につけ、いろいろな職業の人と協力して、病気の子供の気持ちの分かる教師になりたいと思います。
退院の時、先生が「もう何をしてもいいよ」と言いました。あれから1年半、私は一度も発作を起こすことなく、元気に学校に通っています。友達とも、思いきり走って遊んでいます。修学旅行にも行けました。この夏休みは3回もキャンプに行くことができました。
私の心臓は今日も元気に動いています。そして私は、時々胸に手をあて拍動を感じ、お世話になった方々のことを思い出します。